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Tsunashima
綱島について
綱島は東急東横線急行停車駅で、渋谷と横浜のほぼ中間に位置しています
横浜市の中では東京都に一番近く、ビジネスや暮らしの様々なシーンの拠点として
電車でも車でもアクセス抜群の大変便利性の良い街です
Tsunashima
自然と都市が
共存する街「綱島」
綱島駅の南側には鶴見川の堤防の緑が続き、北側には四季折々の自然が楽しめる綱島公園など、商業地・住宅地として栄えるとともに豊かな自然に溢れています
鶴見川と東横線
富士山を望むことができる鶴見川の河川敷は、ウォーキングやジョギング、サイクリング、またピクニックなどで、市民の皆様の憩いの場となっています。
綱島公園
丘の上の綱島公園は、遊具や広場、プールのほかに、お子様が遊べるログハウス「モッキー」があります。
花いっぱいの街
街中の花壇は市民団体の皆様の手によって定期的に手入れされ、四季折々の花が道行く人々の目を楽しませてくれます。
彫刻のある街
街中に日本を代表する彫刻家の芸術作品が数多く展示されています。中でも一色邦彦氏の彫刻が5作品も展示されている街は、他に例がないと言われています。
from the sky
空から見た綱島の
今昔
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History
綱島の歴史
温泉地として、また桃の産地として栄えた時代を経て、今の綱島に繋がっています
「綱島」の由来
縄文時代より前の無土器時代(2万年以上前)から人が住んでいたと言われている、歴史の古い綱島の地名は、平安時代の頃、馬の産地であったため、馬をつなぐ「縄」が同義語の「綱」に転じたものと言われています。
戦国時代には地名と同じ綱島氏という豪族もいて、武田信玄と戦った記録も残っています。
やがて江戸時代には、徳川家康の天領となり、鷹狩りの鷹場として、また鷹狩りに欠かすことのできないキジの放し飼い養殖地としても有名になりました。
現在の東横線は、大正15年、丸子多摩川~神奈川間(当時は神奈川線)の営業運転から始まりました。昭和2年に渋谷~丸子多摩川間が開通し、東横線という名前になりました。
綱島とラジウム温泉
綱島駅は、昭和11年に現在の「綱島駅」と駅名が改められるまで、「綱島温泉駅」だったのを皆さんはご存じでしょうか?
綱島温泉の始まりは、大正3年、加藤順造さんという方が井戸を掘った際、飲めない水が出たため風呂に使っていたところ持病のリウマチが治ってしまい、そこで成分を調べてもらうとラジウム含有量の多いことが分かった、という説と、明治時代に製氷業を営んでいた飯田廣配さんという方が、製氷に使えない水に疑問をもち、成分を調べてもらった、という説があります。
いずれにせよ、昭和の初期には多くの温泉旅館が軒を並べ、一大温泉街としてにぎわいを見せていました。現在でも街中で温泉情緒のなごりに触れることができます。
綱島と桃
戦前の綱島は、岡山県と並び全国的にも有名な桃の一大生産地でした。かつては年間最大288万個の出荷量を誇り、鶴見川河川敷寄りの一帯には桃畑が広がっていました。
桃の木は現在は数えるほどしかありませんが、綱島市民の森に桃の木を植樹し、「桃の里広場」を育てようとしています。